豪雪地帯での調査・工事

奈良俣ダムは、利根川の最上流域にある。水資源開発公団(減:水資源機構)のダムの現場の中でも矢木沢ダムに次いでに雪深いダムサイトである。雪の中に生活の知恵が随所にある。

赴任したのは昭和49年9月。その年の1026日に初雪が降った。初雪にも拘わらず70cmほどあり、物珍しさもあって、積雪調査と称して現場に飛び出していった。2回目は1113日。この時も同じくらいの積雪があった。「3度目の積雪は根雪になる。」と地元の人たちは言っていた通り123日に3回目が降り、本当に根雪になった。建設中の15年間の最高の降雪であったらしい。この言葉をかみしめ以降の年の冬を迎えた。
 その年のボーリング調査は、1231日までかかって仕舞い、雪の中を検尺に行った。業者はコア箱、ボーリング機、ポンプなど運び出すのが大変なので、ポンプは凍り付かないように沢水をポンプ内に素通りさせて雪の中に埋め、他器械などもシートを被せて下山した。業者は翌年雪融けを待って荷卸しするものと思っていたが、雪の上は橇に乗せて運べるのでその方が楽だとして正月明けに運び出した。成る程藪の中より楽に降ろせる。

奈良俣ダム流域は全域保安林となっている。このため、調査・測量をする場合は保安林内作業許可を取らなければならない。作業(調査)区域は、杭を打ってテープを張り、営林署の担当区主任(現:森林官)の調査を受けなければならない。雪融けを待って早々に調査・測量に入り、雪が来るまでに終わらなければ来年に持ち越しになる。

当該箇所は杉苗を植林して2〜3年のところであったが、年度当初はまだ1m近くの雪があって申請範囲を示す杭が見えない。雪を掘り起こすが、目印さえも埋まってしまい何ヶ所も掘り起こしてやっと見つける。奥利根の春雪は重いのでショベルの柄を何本も折ってしまい作業できなくなって下山した。懐中電灯を持たなかったが、落葉した木々の間を雪明かりを頼りに滑るように山を下りた。

積雪があってもトンネル工事は地中なので掘削作業は出来る。作業員と支保工、火薬さえ搬入できる道さえあればよい。

工事区間は勿論、県道も地元の人たちから生活道路を確保するよう要望され除雪した。この除雪作業ほど張り合いのない作業はない。大枚掛けて作業をしても成果品が何もない。また、除雪しても後から後から降って来て、担当区間の除雪が終わる頃には始点辺りはもう積雪がある場合もある。

しかし、工事は雪解けを待って覆工コンクリートを打って工期内に終了した。地元の方の生活を守り大いに感謝された。

驚きの雪の力

これも奈良俣ダムに在職中の話である。

  奈良俣ダムの直下流に洞元橋(ドウゲンバシ)がある。洗の沢林道に洗の沢橋(センノサワバシ)がある。両橋共架橋が完了した次の春行ってみると何と高欄の笠木が一様に支柱を頂点に波打っている。洞元橋は幅15cmの逆U字形のアルミ、洗の沢橋は100×50の軽量形鋼である。この笠木の幅であれば積雪はせいぜい70cm程度である。いくら奥利根のベタ雪でも500kg/?程度であるので雪の重さで笠木が逆アーチになってしまうことはない。

 犯人探しに議論百出したが後述の鎖の例が最も説得力があって、笠木の雪融けが凍り、氷柱(ツララ)のように垂れ下がって直下の地覆(固定箇所)と繋がりその間に氷の凝集力(結晶力)が働いたものと想定される。

  これに類する被害はガードレールでは、コンクリート基礎のところは波板と支柱との止め金具が引き千切られた例、盛土基礎のところは支柱が波板下端まで沈下した例などがあった。

  他の現場でも慰霊碑周りの鎖が切れてしまった例、ガードロープのアンカーブロックが浮いた例、数台並べたダンプトラックの両側のトラックの外側のサスペンションが壊れたとの話などがある。

この一番の防止法は氷柱が地面と接しないようにすることで雪(氷)が垂れ下がりだしたらたたき落とすことである。ガードレールは耐雪用を採用すること、鎖、ガードロープは雪が来る前に取り外すことである。

今年(平成2324年)の冬は豪雪である。家の軒の氷柱が地面や雪下ろしの氷と繋がり軒が壊れた例があったそうだ。しかし、氷柱を払ったら屋根から氷混じりの雪がドッと落ちて来たそうだ。アブナイ!アブナイ!氷柱が生長しないうちにこまめに落とすことしかなさそうである。

人工雪崩

先日(平成20年7月3日)、映画「剣岳――点の記」を観てきた。

 明治後期未踏峰剣岳に登山愛好家と陸軍陸地測量部が初登頂争いを繰り広げる物語である。陸
軍陸地測量部の測量担当者は、上層部の意向を受け入れず純粋に地図の空白域を埋めることを目的
として剣岳山頂に三角点を設置しようとしていた。艱難辛苦の末、陸軍陸地測量部が登頂争いには
勝ったが、山頂には行者の錆びた錫杖があり、既に
1,000年も前に登頂が行われ、軍上層部は鼻を
明かされた。

 興味を引いたのは、「仲間たち」と称してキャストを紹介していた中に「町田建設」という名前
があったことだ。

 測量隊が雪崩に遭遇するシーンがあった。雪崩としては極く軽微なもので、人工的に(映画なの
で当たり前であるが)行ったものであると過去の経験から分かった。

昭和561月、私は奈良俣ダムで場内道路トンネル(2号仮排水トンネル)を監督していた。
トンネル下口は県道付近にある。上口は下口から更に1
km程先の山中になる。1月の奥利根地方
の雪は、吹き溜まりで数m平地でも2mは下らない。坑内作業は直接的には天候に左右されない。
しかし、坑外では作業員や資機材、掘削した岩屑輸送のための工事用道路を除雪したが、それでも
作業員は往復の道中の頭上からの雪崩に遭うことに懸念していた。それで頭上の雪を取り除くため
に人工雪崩をトンネル施工業者に指示した。

人工雪崩は発破の振動により雪を落とそうというものである。トンネル業者ならば火薬は持って
いる。ポールや竹竿でチドリ状に孔を明け、孔底に火薬を仕掛ける。しかし、点火したがボソッと
いって孔の上が微かに盛り上がっただけで雪面は全く雪崩の兆候もない。もう一度やってみたが状
況は同じで埒が明かない。

そこで思案の揚げ句、トンネル業者は新潟県など多雪地域で雪を専門に活躍している業者に応援
を頼んだ。それが町田建設であった。彼らは夏にスノウシェッド・雪崩防止柵などの防雪工や雪崩
防止工などを施工し、冬は除雪や人工雪崩などを施工している業者であった。

数日してから何人かの作業員が現れ、素人目には先の業者と同じように作業し点火した。雪面は
全面フアーと持ち上がった。次の瞬間、その模様をビデオに収めようと真正面でカメラを構えてい
た我々に雪崩は向かってきた。這々の体で逃げた。カメラには雪煙だけが踊っていた。雪崩の規模
は当の映画と同程度であった。

ここで今後の参考にとそのノウハウを聴こうとしたが、彼らは役目を終わったとしてそそくさと
帰っていった。そこで施工後の状況を見ての推測であるが、雪が地上一面に十数
cm残っていたこ
とから、孔明けは雪の底面の上数十
cmの所までで、その孔底に火薬を仕掛けたのではないか。い
くら多く積もった雪でも地面の上、数
cmは隙間があるもので、地面に火薬を仕掛けると爆風は
その隙間を走り、人工雪崩を起こす振動も雪には伝えられなかったのではないだろうか。また、
トンネル業者の用いる火薬は、爆速が速く、後ガスが少ない。岩盤のようなものならともかく、
雪のような粉体状のものには不向きなのではないか。その他、斜面の上下における削孔密度、爆破
間隔、火薬の種類、薬量、孔深等々ノウハウがあるに違いない。

「餅は餅屋」そんなことを感じた。

このような特殊な作業に対しては随意契約という契約方法があっても良いのではないかとも思っ
たものである。